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不思議なおじいさん【長文】
長岡鉄男さんという人がいた。2000年5月29日、今から8年前に74歳で亡くなった、オーディオ評論家である。
評論家という人種に、尊敬できる人間がいるのだと知ったのは、後にも先にもこの人だけだ。同時に、オーディオ趣味に開眼したのも、この妙な爺さんの文章に触れたためである。氏の特徴を現す文章を、一部抜粋する。
CD、アンプ、スピーカー、それぞれコードでつなげば音が出る。使いこなしというのはその音をさらに良くするための工夫をいう。使いこなしには種々の小道具が必要で、これをアクセサリーという。 〜中略〜 アクセサリーへの投資は機器の10分の1以内に抑えるべきだと思っている。10万円のスピーカーに20万円のスピーカーケーブルを使うなどというのははっきりいってバカだ。
(1998年の”AUDIO BASIC”誌より)
オーディオというのはまさにそのバカが、怪しげなグッズに大金を投資している異常な世界だ。試しにオーディオ雑誌を開いてみるとわかるが、メーター何万円もするケーブルを使わなければマニアではない、という風な記事を平気で載せている。その商売の片棒をかつぐ評論家が多い中で、ポイントを押さえれば、安い投資で音質を向上させる事はできる、と実証したのはこの長岡さんだけである。
僕は評論家という人種が嫌いだ。彼らは理論を振りかざし、耳目を集め、金儲けしている人間を批判する本を書いて、その印税で金儲けをする。権力を批判し、民衆の支持を得て、自分も権力の座に座る。メーカーや政治家のスピーカーとして情報を発信する。オーディオ評論家と言われる人たちも同じである。こういう人たちの話なんか、聞く必要はないと思っていた。だから、何者にも媚びへつらう事のない長岡さんとの出会いは小さな衝撃だった。あるいは長岡さんが真の評論家で、他の連中は(全てとは言わないが)一種のサギ師なのだ。
長岡さんの訃報を知ったのは、ちょうど今日のような蒸し暑い日だった。「この人でも死ぬのか」と思った。あれから8年、いまだに長岡さんのような面白い評論家にはお目にかかっていない。たぶん死ぬまで現れないだろう。もし本屋さんで、この人の本を見かけたらぜひ読んでみて欲しい。オーディオマニアに限らず、その面白さは伝わるはずである。
評論家という人種に、尊敬できる人間がいるのだと知ったのは、後にも先にもこの人だけだ。同時に、オーディオ趣味に開眼したのも、この妙な爺さんの文章に触れたためである。氏の特徴を現す文章を、一部抜粋する。
CD、アンプ、スピーカー、それぞれコードでつなげば音が出る。使いこなしというのはその音をさらに良くするための工夫をいう。使いこなしには種々の小道具が必要で、これをアクセサリーという。 〜中略〜 アクセサリーへの投資は機器の10分の1以内に抑えるべきだと思っている。10万円のスピーカーに20万円のスピーカーケーブルを使うなどというのははっきりいってバカだ。
(1998年の”AUDIO BASIC”誌より)
オーディオというのはまさにそのバカが、怪しげなグッズに大金を投資している異常な世界だ。試しにオーディオ雑誌を開いてみるとわかるが、メーター何万円もするケーブルを使わなければマニアではない、という風な記事を平気で載せている。その商売の片棒をかつぐ評論家が多い中で、ポイントを押さえれば、安い投資で音質を向上させる事はできる、と実証したのはこの長岡さんだけである。
僕は評論家という人種が嫌いだ。彼らは理論を振りかざし、耳目を集め、金儲けしている人間を批判する本を書いて、その印税で金儲けをする。権力を批判し、民衆の支持を得て、自分も権力の座に座る。メーカーや政治家のスピーカーとして情報を発信する。オーディオ評論家と言われる人たちも同じである。こういう人たちの話なんか、聞く必要はないと思っていた。だから、何者にも媚びへつらう事のない長岡さんとの出会いは小さな衝撃だった。あるいは長岡さんが真の評論家で、他の連中は(全てとは言わないが)一種のサギ師なのだ。
長岡さんの訃報を知ったのは、ちょうど今日のような蒸し暑い日だった。「この人でも死ぬのか」と思った。あれから8年、いまだに長岡さんのような面白い評論家にはお目にかかっていない。たぶん死ぬまで現れないだろう。もし本屋さんで、この人の本を見かけたらぜひ読んでみて欲しい。オーディオマニアに限らず、その面白さは伝わるはずである。
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