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漫画における進歩
ある、80年代後半にヒットしたマンガの、2000年代に入って描かれた続編を読んだんですけど、絵が変わっててガッカリしました。作品の根底にあるものが完全に変質してしまったというか。好きな漫画家なので名前は出しませんけど。
「進歩する」のと、「変質する」事は違う。
そう思い知らされた気分です。変わる過程において、何か大事なもの、本質的なものを失ってしまっては、それは進歩とは言えない。漫画家を料理人に例えるなら、評価されていた料理の方法論をいきなり変えてしまうようなもので、それはただ単に「変化のための変化」でしかない。
たとえば、フォークボールが得意なベテラン投手が、その根底にある「コントロール技術」を忘れて、自分より速い球を投げるルーキーに対抗し始めたら。その結果、中途半端な投球しかできなくなってしまったら。ファンからは総スカンをくらうに違いありません。
「進歩」するためには、まず「保守」の姿勢が必要なのではないか。たとえば荒木飛呂彦や、前の日記で挙げた島本和彦のように、その本質を守ったままで見事に現代的に進歩している漫画家こそが、より優れた漫画家だと僕は思います。
昔の方が良かった、なんて型にはまった言い方はしたくないけど、自分としてはそう思わざるを得ないです。ねえ、寺沢大介先生(←本名丸出し)。もうあの作風には戻らないのかなあ。
「進歩する」のと、「変質する」事は違う。
そう思い知らされた気分です。変わる過程において、何か大事なもの、本質的なものを失ってしまっては、それは進歩とは言えない。漫画家を料理人に例えるなら、評価されていた料理の方法論をいきなり変えてしまうようなもので、それはただ単に「変化のための変化」でしかない。
たとえば、フォークボールが得意なベテラン投手が、その根底にある「コントロール技術」を忘れて、自分より速い球を投げるルーキーに対抗し始めたら。その結果、中途半端な投球しかできなくなってしまったら。ファンからは総スカンをくらうに違いありません。
「進歩」するためには、まず「保守」の姿勢が必要なのではないか。たとえば荒木飛呂彦や、前の日記で挙げた島本和彦のように、その本質を守ったままで見事に現代的に進歩している漫画家こそが、より優れた漫画家だと僕は思います。
昔の方が良かった、なんて型にはまった言い方はしたくないけど、自分としてはそう思わざるを得ないです。ねえ、寺沢大介先生(←本名丸出し)。もうあの作風には戻らないのかなあ。
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